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関ヶ原合戦の新聞記事

毎日新聞、平成28年4月4日の社会面で天下分け目の関ヶ原の合戦の呼び名は当初「青野ヶ原の合戦」だった?、、、、、。
京都市右京区の陽明文庫に保管されていた「前久書状」と言う古文書に合戦直後の様子が詳細に記され、戦いの場所が
「関ヶ原」でなく「青野ヶ原」と書かれていたことが分かった。・・・との記事を見ました。
合戦直後の一次資料は非常に少なく、専門家にからは当時の状況がわかる一級品の史料だそうです。

前久書状は合戦5日後の慶長5年9月20日に書かれていたもので、徳川家康が江戸城を出発した日時や小早川秀秋の
寝返りなど14項目にわたりかなり正確に記述されていたことが判明した。・・・との事

関ヶ原から東北東約8kmの地点に「青野村」(現:岐阜県大垣市青野町)があり、毛利家一族の吉川広家の自筆書状や
「慶長記略抄」の狂歌にも関ヶ原の戦いが「青野ヶ原」と記載されていると指摘されている。

今日は新聞記事要約でのブログになってしまいました。